時期外れの温かさに驚かされたり、そうかと思うといきなり冷たい雪に覆われたり、何となく落ち着かないこの冬でしたけれど、ここ南中山のキャンパスにも、ようやく太陽のまぶしさが春の訪れを告げる季節になりました。

皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆さまにも、心よりお祝いを申し上げます。

皆さんは今日、短期大学を卒業し、新たなステージに向かって、一歩を踏みだすことになります。振り返ってみれば、皆さんの高校、大学生活は、「新型コロナウィルス感染症」の流行に大きな影響を受けました。様々な制限、不便や不自由を感じることも少なくなかったと思います。昨年5月からは制限が緩和されましたが、そんな難しい時期であったにも関わらず、今日こうして「短期大学士」という学位、国際的に認められている学位を受けて、立派に卒業を迎えられることを、心より祝福したいと思います。

皆さんはこれから人と関わる仕事に就くことになります。(小さな子どもたちに関わる場合は言うまでもありませんが、)たとえ、仕事として目の前に現れ、日々対応するのが数字や文書だとしても、その数字や文書の向こうには必ず「人」がいます。AIが、今後どんなに優れた情報処理能力を持つことになっても、それをコントロールしたり活用したりするのは「人、人間」です。私たちのすべての仕事、もちろん皆さんがこれから就こうとしている仕事も、「人、すなわち他者」に「奉仕」する仕事であると言えるのです。

「人の幸せや困りごとのすぐ近くにいられるように」と、聖和短大での学びを表現してくれた学生さんがいると聞きました。社会に出た皆さんは、「人の幸せや困りごと」に寄りそう立場に置かれることになりますし、そうあってほしいと思います。しかし、そうはいっても、あなた自身が迷ってしまうこともたくさんあるでしょう。答えは、書物やインターネットの中に見つかるとは限りません。自分ひとりだけで悩み、孤立するのではなく、周囲の人たちに助言を求める謙虚さ、積極性も必要です。有効な情報を選り分け、さらなる知識、技術を身につける必要もあるでしょう。「学ぶということ」はこの二年間で終わりではなく、むしろここからがスタートです。これまでの学びは、自分の基礎となって役立っていることを実感する日が来ると確信します。

昨年の聖翔祭で、書道部の学生さんたちが、書道パフォーマンスで「百花繚乱」ということばを書いてくれていました。「百花繚乱」、…「いろいろの花が咲き乱れる様子」ですが、転じて、「優れた人物や立派な業績がたくさん現れること」を意味しています。書道部の学生さんたちは、ここで学ぶ仲間たちを花になぞらえて、「百花、すなわちたくさんの花々が咲き乱れる」ような、活気あふれる大学生活を願って書いてくれたのかなと思います。

昨年放送された連続テレビ小説「らんまん」をご覧になったでしょうか。万太郎さんとスエちゃんの物語、私も毎日、一緒に喜んだり、悲しんだりしながら楽しみました。とても心打たれるドラマでした。
その「らんまん」のモデルとなったのは、植物学者の牧野富太郎博士です。放送をきっかけに、牧野博士の「雑草という草はない」ということばが注目されました。これは牧野博士がある小説家と対談した時に、小説家が、「雑草」ということばを使ったことを博士が聞きとがめて、「世の中に雑草という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。松、杉、ナラ、カエデ、クヌギ、みんなそれぞれ固有名詞が付いている」とたしなめたことが、知られるようになったのだそうです。

草花にも樹木にも、ひとつひとつ名前がついているように、皆さんは、当然ながら、ひとりひとり違った名前を持っています。ひとりひとり違う環境で育ち、ひとりひとり違う考え方、違うこころを持っています。誰ひとり、自分とまったく同じ人はいません。ひとりひとりがそれぞれの命を持って輝いているのです。植物に例えて言うならば、多くの人々に注目される場所で大きく咲く花もあるでしょう。人知れずささやかに美しく生きる草花もある。花はつけずとも、力強く頼もしく立つ樹木もあります。草花や樹木は、自分以外の植物を差別したりするでしょうか。

単純なことです。姿かたちや生まれ育ち、言語、宗教などに惑わされることなく、お互いの存在、生き方を認めあい、互いに「和」を持って接すれば、いさかいなど生まないはずです。相手の立場を思いやる想像力を持ちましょう。

ここに集う皆さんは、まさに「百花繚乱」。咲き「乱れる」と言いましたが、「咲き誇る」と言い換えましょう。社会に出ても、それぞれの生き方、それぞれのペースで生き生きと咲き誇ってほしい。まわりの人々と気持ちを寄せ合いながら、幸せに輝き続けてほしいと、願ってやみません。

ここで出会った人たち、短大で出会った人たちは一生の宝物です。これからも皆さんの力になってくれるに違いありません。そして、聖和学園短期大学の建学の精神「慈悲、和、智慧」は、卒業したら消え去ってしまうものではありません。生活を送る規範であったり、日常を照らす光、心の拠り所であったりしながら、これからも皆さんを緩やかに包み、人間的成長を支えてくれるでしょう。

明日からは、皆さんと会う機会はもうあまりないかも知れません。どうか体だけは大切に、実際に会う機会はなくとも、「誰々さんは、こんなところで、こんなふうに、元気で頑張っています」という、風の便りを聞くのを楽しみにしています。聖和学園短期大学は、卒業したのちも、変わらず皆さんを応援します。

あらためてご卒業おめでとう。どうぞ、聖和学園短期大学卒業を誇りに、自信を持って歩み始めてください。以上、皆さんへの餞のことばといたします。

令和六年三月十八日

聖和学園短期大学  学長 吉川 和夫